東京大学農学部卒、2002 年東京三菱銀行入行。
2005年8月株式会社ユーグレナを創業、
同社代表取締役社長
同年12月微細藻類ユーグレナ(和名:ミドリムシ)の食用屋外大量培養に世界で初めて成功。
米スタンフォード大学『アジア太平洋学生起業家会議』日本代表(2000年)
米バブソン大学『プライス・バブソン』修了(2004年)
内閣官房知的財産戦略本部『知的財産による競争力強化・国際標準化 専門調査会』委員(2010年)等を務めた。
信念は『ミドリムシが地球 を救う』
著書に『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。』(ダイヤモンド社)がある。
編集前記
今回は世界でも初めてミドリムシの屋外大量培養に世界で初めて成功をしたユーグレナの出雲社長にインタビューをしました。
国連での食料支援の仕事を考えていた出雲社長が学生時代にバングラディッシュに行ったところ、食料が無いのではなく、食料はあるが、栄養素のある食料がないことに気づき、衝撃をうけます。
日本に帰り、何とかこの問題を解決できないかと、東大の後輩であった鈴木さん(現取締役研究開発部長2013.3.29現在)に相談したところ、ミドリムシという、植物性タンパク質と動物性タンパク質を持った藻がいることを紹介されます。
そこから、二人でどうやったらミドリムシを屋外で大量培養できるのか研究を始めます。
なぜなら、ミドリムシは世界中のどこも屋外大量培養に成功していなかったからです。
2005年8月に会社設立をして本格的に事業に取り組み始め、更に、実家のクロレラ事業を手伝っていた福本さん(取締役マーケティング部長2013.3.29現在)を口説きおとし、3人で活動をスタートします。
2005年12月にはミドリムシの屋外大量培養に成功し、事業を軌道に載せようとした矢先、ライブドアショックがおこり、事態は一変します。
当時ユーグレナはライブドアから出資を受けていたため、事業はライブドアとは全く関係ないにもかかわらず、一気に取引先がユーグレナから手を引いてしまったからです。
そんな逆風の中も耐え抜き、2008年5月に伊藤忠と提携、2012年12月に上場するなど順風満々に事業は伸びていきます。
本日は、順調に事業が軌道にのるまでの裏側について、色々お聞きしています。
──本日はインタビューのお時間をいただき、ありがとうございます。ところで、いただいた名刺の穴が気になったんですが、これは何を意味しているのでしょうか?
それは顕微鏡をイメージしています。私どもはミドリムシを顕微鏡で見て調べて、世の中の役に立つミドリムシを育てる仕事をしています。
ミドリムシは、藻の一種なのですが青虫とか芋虫と間違われやすいのです。青虫を顕微鏡で覗いてということはありませんから、顕微鏡で覗くイメージから、ミジンコとかゾウリムシとかミドリムシを思い出していただけたらと思い、穴をあけました。
──クロレラのCMイメージで、大きいタンクで生産しているシーンをよく見ますが、ミドリムシも同じようなものなのでしょうか?
もう、生産する施設はクロレラとほとんど一緒です。ですから、我々もクロレラ用の石垣島の施設を借りて、そこで、ミドリムシの屋外大量培養に成功しました。
ただ、ミドリムシは動物であるという観点では、ほかのどの生き物とも違いますね。
──本日は、色々と起業に関するお話をお聞きしたいのですが、出雲社長が書かれた「僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。」を読ませていただいたところ、起業が先にあった訳ではなかったんですね。
そうなんです、実はベンチャーとか自分が起業するとは思っていませんでした。
ミドリムシを使って仕事がしたいというのが先にありましたので、誰が社長になるとか決めないまま、スタートしていました。ミドリムシをどうやったら広められるのか、だけを常に考えていたのです。
──何をしたいかははっきりしないけど、起業をしたい、社長になりたい、という方はとても多いんです。成功した起業家にあこがれて、自分もしてみたいという気持ちになるんですが、どう思われますか?
起業は単純にはお勧めできないです。良いこともありますが大変なことも多い、例えば私は貯金が全然なくなって、本にも書いていますが貯金が32万にまでなったんです。
東大出て銀行をやめて、月収10万円。ミドリムシを売りにいくと、「また芋虫屋さんがきた」って言われて、笑われる。
ここのどこを見て、起業をしたいという気になるんですかね。
だってもう、2008年の5月まで、ほんと毎日ミドリムシをやめようと思っていましたからね。なんでこんな大変な事やっているんだろうと考えてました。
──私がインタビューをした社長さんも99%失敗するから、起業なんてやめとけと、「私はたまたまうまくいったんだ」、とみなさんおっしゃいますね。
ミドリムシなんか、たまたまの、たまたまの、まぐれの、たまたまですから(笑)
──という事は、いろんな大変な事件があっても、それを乗り越えられる自分のやりたい事が見つからないと、とてもやっていけないという話でしょうか。
ミドリムシがそんなに好きじゃなかったら、ライブドアショックがおこったその瞬間にもうやめますよね。
週刊誌に「ライブドアの石垣島闇ビジネス」って見だしが出て、「へー、ライブドア、僕らの知らないところで、闇ビジネスなんてやってたんだ」と思って読んでたら、「石垣島で、ミドリムシを育てるという闇ビジネスをライブドアが手がけている」と書かれて、もうビックリしました。
「石垣島闇ビジネス」ですよ。だって(笑)。
光合成して、こんなにこうミドリムシは頑張っているのに、なぜこれが闇ビジネス???みたいな。
まあ、ほんとうにミドリムシが本当に好きで、好きじゃないと続けられなかったですね。
ミドリムシほど面白い子はいないし、ミドリムシを自分が先にあきらめたくないというのはありましたよね、ミドリムシはこんなに頑張っているのに。
──その苦しい時に、お客様から手紙をもらっていましたよね。
ファーストカスタマーってどの起業家もそうだと思うのですが、やっぱり、ファーストカスタマーがいつ登場するか、というのは、ベンチャーやる方にとってはすごく大事ですよね。
最初はあまりに売れなさすぎるので。自信がなくなるじゃないですか。あれ、やっぱりミドリムシは、へぼいのかなぁって。
そんな時、買って下さったお客様が、大阪で学校の教員をされている方で、「私はいろんなものを比較してきたから、ミドリムシもどうなんだろう」くらいの感覚で買って下さったそうなんです。そうしたら健康診断のスコアがよくなって、継続的に飲み続けて、体調がとても良くなったそうなんです。
その方は、お手紙もそうですし、会社にもお電話して下さったので、いやーもうほんとに良いお客さんに巡り会えましたね。
──それは、やはり本当にエネルギー源となりますね。本でご紹介されていたのはお一人でしたが、そのあとも色々メッセージをもらい続けたんですか?
そうですね。ただやっぱり、2回目以降と、1回目の衝撃といったら全然ちがいますよ。
──おおげさかもしれませんが、涙を流すほどうれしかったということですか?
そりゃあもう。はい。
──それは売り上げがどうのこうのというより、やはりお客さんとのやり取りというのはすごい感動、大事だと言う事ですね。
そうですね。とはいえ、ずっと赤字だと会社を続けていけないので。最初のお客様のその喜びの声を頂いてからは、私はどうやったらちゃんと収益が出せるのかなという事を考えていました。
日本に1人は、ファンの方がいる訳だから、別にその人が特異体質な訳でも何でもないですし、合う人には合う、絶対に喜んでいただけるんだから、黒字化は絶対にできる、思いが折れないのは最初のお客様のおかげですよね。
──ライブドアショックがあったときに、色々逆境があったと思うのですが、どういった方が出雲社長の心の支えになったのでしょうか。
事件の後、「ライブドアに関わっていた人とはお付き合いできません」、という事で、誰もミドリムシの話を聞いてくれない時に、本にも書いた、日本マイクロソフトの前社長の成毛さんが、「そういうのを気にしないから、お金も出すし取引先も一緒に探しましょう」、と言って励まして下さったのは、本当に大きかったです。
更に、2008年に5月に、伊藤忠が関わってくれたことですね。伊藤忠というのはなかなか男気のある会社だなーと思いますが、成毛さんと伊藤忠と出会っていなかったら、さすがに折れていたと思います。
──応援してくださった、伊藤忠とか、成毛さんとの出会いはひたすら営業しまくったということでしょうか。
これは営業しかないですね。
──つまり、戦略を練って、何とかしようというよりも、動きまくった結果ということですね。
そうですね。寝ている場合じゃない、みたいな。
──もちろんそのときは、伊藤忠以外に色々アクションをしていて、その時たまたま伊藤忠の担当の方に出会えたという事でしょうか?
伊藤忠以外はケンモホロロでした。伊藤忠がだめだったら、とどめをさされて、普通にやっていてもたどり着けないから、もう潔く早めに傷口広げずに、やめようという感じでした。
──そこに行き着けたのは、ひたすら行動したからだという事ですよね。最悪な状況になると、会議室で戦略ばっかり考えてしまう会社が良くあると思いますが。
そうですね、みんな営業いかなきゃと言っていましたので、当時私は、福本も鈴木も何をしていたのか、何にも知らないんですよ。
──その当時は役員ミーティングもしなかったのですか?
しませんでした。というよりも開催できないんですよ、「役員ミーティング!?、それどころじゃないだろう、役員ミーティングなんて出てられるか」、みたいな状態です。
──ということは、どこに営業にいくかのリストの共有もしなかったのですか。
そんな時間もありませんでした。お互いがそれぞれできることを考えて、自発的に行動してましたね。
──それが何ヶ月続いたんですか。
1年とは申し上げないですが、2007年終盤から2008年春までずっとそういう状況です。
──それはある意味素晴らしいチームワークと言うか。お互い考えて、会社の為になにができるかを考え、行動できたということですよね。
ちゃんと考えてやっていたという感じではないですけどもね。
そして徐々に、福本の営業が成果で出だしてきました。
更に、その年の終わりに日立と、当時の新日石が、バイオジェットの研究開発資金を、ユーグレナ社に投資しますと。で、そこから一気に拡大していきました。
──出雲社長は、人を巻き込む力が非常に強い、というか、「人たらし」な気がするんです。福本さんを筆頭に、優秀な方を巻き込んでいますよね。
ミドリムシを一緒にやりましょうって頼んで断られても、なんにもその失うものはないじゃないですか。だから相手が根負けするまで、「やりましょう、やりましょう」ってやっていれば、相手が大体根負けしますから、結局自分の勝ちな訳です。
だから、相手を根負けさせるまでお願いし続けるという事がポイントだと思いますね。
──それは、相手に対して惚れ込んでいるという証拠でもある訳ですよね。「おまえじゃなきゃだめだ」っていう位のほれこみですよね。出雲社長が直球勝負で、伝えているというのがよく分かります。
直球勝負というか、アイデアも、お金もないので、直球勝負っぽくならざるを得ないというわけなんです。
──エネルギーの原体験は、小さい頃からあったのでしょうか?
やっぱり切り口の斬新さみたいなものを、昔から求めていたとおもいます。世のなかに流行っているものに乗るんじゃなくて、切り口を変えるとめちゃくちゃ流行るものはないかと、小さい頃からいつも探していた気がします。
──そうすると、もし例えばミドリムシをほかの誰かがやっていて、培養が成功している段階だったら、もしかしたらやらなかったかもしれないということですか?
そうなんですよ、いまとなっては全くわからないんですが。
最初は、きっとミドリムシはどこかの会社がやっているんだろうと思っていました。味の素さんとかカルピスさんとか、ヤクルトさんとか、そういうとこに就職すると、ミドリムシに関するビジネスがきっとできるだろうと思っていました。
ところが、ミドリムシの事を知ったときにミドリムシ事業部どころか、ミドリムシの培養技術は民間にはないという事がわかったので、そういう会社に、実際には就職活動をしませんでした。
もし、ミドリムシではなかったら、わたしは青いバラ、「ブルーローズ」などをやっていたと思います。ミドリムシも、青いバラも両方とも不可能の代名詞だったので。やっぱりそういうのは純粋に興味がありましたよね。
──ただ、青いバラだと栄養失調の改善にはつながらないイメージですよね。
まったくつながらない。だけどみなが無理だと思っている事を、こう、実現してしまう人に1番私は憧れていました、青いバラというのは無理だろうと、200年くらい前からバラの育種家の人が、青いバラを育てようとしていたのです。それができていなくて、最後にサントリーが実現させるのですが、そういったものに興味がありました。
──できないと言われていることを達成することが、出雲社長のエネルギー源になっているわけですね。
そうですね。無理って言われると、燃えるところがありますよね(笑)
なんでだめなのか、と逆にこれができたら、すっごいみんながびっくりしてくれて、おもしろがってくれて、喜んでくれる。そういったものに熱中するんです。
──本に起業家に向けて書いてあった、「なんでもナンバーワンになりなさい」というメッセージは、ブランディングに近い話だと思うのですが、やっぱり自分の取り柄とか、そういったものをちゃんと見つけていくという事が大事という事でしょうか。
そうですね、取り柄とか一番であるのが一番素晴らしい事だと思うんですが、どういう切り口にしたら、自分が一番になるのか、自分が一番になるまで、切り口は探し続けないとだめだと思うんです。
「多摩ニュータウンいち、おいしい」とか、「多摩ニュータウンいち、反応が早い介護センター」とか、自分が一番だって、恥ずかしくなく言える切り口があるといいです。
それを探さないで、スタートするのは、すごく不利な土俵に自ら上がって勝負するようなものです。
実力よりも、こういった切り口を持てるかの方が、私は重要だと思うんです。
──ポイントとしては、日本一とか世界一とか広いカテゴリーではなくて、カテゴリーをしぼって、何かのカテゴリーで一位になっているものを見つけるということですよね?
基本的には切り口を狭めるというのが、順位が上がっていくという事です。
ぼやっとしているものは、切り口を狭めていくと1000位100位10位と上がっていきます。
エリアを狭くしたり、ビジネスのフォーカス範囲を狭めたり。
例えば、鍵屋で一番を目指すのは難しいから、金庫の鍵に特化しよう、とかです。
ほんとに何かで1位じゃないといけないんですよ。多摩ニュータウンで本当に一番早くないのに、1番早いですとかって言うのは、嘘ですし。
一番おいしいって言っていて、一番おいしくなかったら嘘になります。
もちろん嘘はだめですし、かなりしぼって一位なものを見つけるんです。
旭川動物園は生態行動観察では、もちろん日本一です。多摩動物公園も昆虫館、チョウチョとかが好きな人は遠方からも見にいきます。
1位じゃないビジネスをやるのは難しいと思います。
──私が感じたのは、将来世界で1位になるということではなく、今この瞬間に世界で1位になっているものを見つけるということですね。世界1位を目指すのは悪くはないと思うのですが、「今ここ」にないものを行っていてもだめですよね。たとえ、今は小さい範囲かもしれないけど、いつか世界で1位ではなく、今世界で1位になっているものが大事ということですね。
おっしゃるとおりです。
──最後に起業家へのメッセージをお願いします。
特にテーマありきではなく、起業ありきで、ちょっとベンチャーをやってみたいという方は、やっぱりやめた方が良いです。
起業ブームだからといって、起業をしたら絶対に後悔します。起業は「みんなが起業をするから、起業しちゃった」って10年後に振り返って笑えるか、といったら、そういった類いのアクションではないです。
一方で、私みたいに、ミドリムシを何とかしたいとか、もうテーマが決まっている方は是非起業していただきたいですね。
それで、どういう切り口にしたら、自分の会社の立ち位置が今1位になるのか、ダイヤモンドみたいにうまくカッティングをして、キラキラな状態になったら、もう絶対に大丈夫だと思います。
──何でNo.1になっているのか、見つけられるかがベンチャー起業では大事ということですね。本日はありがとうございました。
編集後記
インタビューを終えて、
どんなベンチャー企業であれ、ずっと右肩上がりで成長を続けられるということはありません。
最初の開発でつまずいたり、思ったように売れなかったり、売れすぎて品質問題が起きたり、何らしかの事業のカベが発生します。
ユーグレナの場合には、それまで不可能と思われてきたミドリムシの大量培養に成功したにもかかわらず、外部要因から一気に会社としての信用を失うという、大きなカベにぶち当たります。
その時に
・自分が行っているビジネスを信じられること
・戦略で何とかしようとするのではなく、とにかく行動をすること
・何としても世の中に広めたいという思い続けること
といったことが、途中で心が折れずに、事業をやり続けられる重要なポイントだと感じました。
更に、事業をスタートするのにあたって、1位になれる切り口を見つけられるかどうかが勝負を決めるというのも、これから起業を目指す方には大事な準備ポイントとなりそうです。
1位というと、「勝ち、負け」のイメージもつきますが、そうではなく、うまい切り口さえ見つけられれば勝負などをしなくても、優位に事業を進められるということです。
起業家として自分なりのユニークさをみつけてスタートすることが、何よりも大事だと勉強になりました。